東急大井町線 奥沢駅から近い「奥澤神社」。ちょっと神社らしい威厳の中に不思議な雰囲気の漂う神社です。
【鎮座地】東京都世田谷区奥沢5-22-1
【ご祭神】応神天皇、倉稲魂之命
【社格】村社
【創立】室町時代
【例祭】9月第2土曜日〜日曜日
【御朱印】あり
どこの神社でも参拝で最初に目に入るのは鳥居なわけですが…奥澤神社の場合「あれ?この注連縄…」とよくよく見ていると、鳥居よりも印象強く「目」が飛び込んでくるはずです!(これについては、後ほど書きますね)
境内に入ると、シンボルとも言える「スダジイ」の大木が植えられています。これは世田谷の名木百選にもエントリーしている大木で別名は「皮だけのシイノキ」。内部は朽ちていて空洞になっていますが、皮の部分だけでキチンと生きた木なので世田谷の名木紹介でも「まだまだ樹勢は十分です」と紹介されています。
スダジイを見ながら、鳥居を真っ直ぐ前に進むと手水舎があり、お清めです。
さて、御社殿です。どーん!とした重量感のある建物ですが、建築は昭和45年(1970年)と新しいのです。しかし、「社殿は良質の尾州桧材を用い、室町期の建築様式を採用している」(東京都神社本庁)ため、とても生き生きと威厳を醸し出しています。
御社殿には鈴は下がっておらず、神楽鈴が置かれています。そして、これを鳴らすと…
にゃんこが奥の方から出てきまして…「神使様かよ!」と思うくらいに私のお祈りを見守ってくれました(笑)
上の写真、そして下の写真にも鳥居の「目」が移っていますね(心霊写真のような書き方になってしまった…)
この目の持ち主は「大蛇」です。まず、この大蛇と奥澤神社の関係について書いておきましょう。
江戸時代の中頃、奥沢の地に疫病が流行し多くの村人が病に倒れたことがありました。ある夜、この村の名主の夢枕に八幡大神が現れ「藁で作った大蛇を村人が担ぎ村内を巡行させるとよい」とのお告げがあり、早速そのとおりに実行するとたちまち流行疫病が治まったそうです。この言い伝えによって奥澤神社の例大祭に大蛇のお練りが行われるようになり、鳥居に厄除けの大蛇が飾られることとなりました。
(奥澤神社の大蛇お練り行事 - 世田谷区HP)
と、大蛇が疫病を除けてくれる訳です。怖がらずに藁でできた大蛇様にお祈りしましょう!
このような伝統が息づく奥澤神社ですが、その歴史も長く、室町時代当時の土地を治めていた吉良氏家臣の大平氏が奥沢城を築きました。その守護として勧進したのが武家の神様である八幡様です。このため、創建時には八幡神社と呼称され、吉良氏が造った「世田谷七沢八八幡」の1つとされていました(「七沢」は諸説あり!で、今でも残っている地名では野沢・深沢・奥沢、そして北沢。これに池尻のある池沢と玉川のある吉沢、そして馬引沢として上馬・下馬・駒沢、また千歳台付近の廻沢などとされています。また「八八幡」としては北沢八幡宮、世田谷八幡宮、代田八幡宮など名が挙げられています)。
江戸時代に入ると下沼部村(田園調布付近)の密蔵院が別当寺を務めました。
更に時代が下り、明治時代、村社とされ旧奥沢本村の鎮守だった子安稲荷神社が合祀され、この時「奥澤神社」と八幡神社が名を変えています]。
そして昭和期に入る前後には、神職不在の時期があって碑文谷の氷川神社から神主が来ていたこともあったそうです。
先程書いた社殿についても、旧来の本殿は、1912年(明治45年)に九品仏浄真寺に移築、観音堂になっています。また、1913年(大正2年)建立の本殿も、九品仏浄真寺に移築されて五社として祀られています。ただ、何故このように移築されたのかという理由は不明で、1985年(昭和60年)の『奥沢 世田谷区民俗調査第5次報告』では当時の禰宜の話として「単に置き場所に困っただけではないか」という説が残されています。
【アクセス】
東急大井町線 奥沢駅 徒歩2分
東急大井町線・東横線 自由が丘駅 徒歩5分
奥沢駅から自由が丘に散歩する途中で立ち寄ってみることをオススメします!
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