経堂より千歳船橋の方が近いです「経堂 天祖神社」

【鎮座地】東京都世田谷区経堂4-33-2
【御祭神】天照大御神、倉稲魂命、菅原道真公
【社格】村社
【創立】永正4年(1507年)
【例祭】10月第1日曜日と前日
【御朱印】あり
【公式サイト】こちら


地理的には、小田急線経堂駅と千歳船橋の間にある経堂の天祖神社は鎮守の森に囲まれた素敵な神社です。

鳥居をくぐって境内に入ると、目に入ってくるのはピカピカの神楽殿でした。そして御社殿が左手に見えますが、こちらの御社殿も移築と言う古いものです。移築される前は同じく世田谷にある用賀神社のものだったそうですが。旧の御社殿が茅葺きだったものが、昭和51年に移築されたことで瓦葺きに変わっています。

経堂の商店街(すずらん商店街)から見ると、氏神様が2つに別れているようです。宮坂町側は南側の世田谷八幡宮、そして経堂町側が天祖神社になるのです。

実際、歴史や社格で言うと世田谷八幡宮に軍配が上がってしまいますが、経堂の天祖神社も「生きている神社」という威厳があります。
まず、その歴史で考えると、そもそもは伊勢宮として勧進されています。明治に入り「宮」が使えなくなり、天祖神社へと社名が変わり、また別当寺だった福昌寺からも分離が行われています。さらに神社合祀政策から稲荷社と北野神社が合祀されています。

狛犬の礎石から、稲荷社は細谷稲荷・小谷戸稲荷かと思われます。

狛犬は二対ありますが、古いものは富士山の溶岩のようなものが礎石に使われています。

先程の礎石に書かれていた稲荷神社、そして北野神社が境内社として配置されています。どちらもこじんまりとしています。

境内の一番奥には「胞衣塚」が置かれています。私自身、胞衣塚は初めて見た気がするのですが、これ、

境内を左奥に進むと「胞衣塚(えなづか)」があります。「胞衣(えな)」は後産(あとざん)とも呼ばれますが、明治の終わり頃まで強い子に育つようにと、出産後七日目に胞衣を布や紙などに包み壺などに入れて「胞衣納(えなおさめ)」をしました。この胞衣塚の下にはその胞衣壺(えなつぼ)が埋められています。

と公式サイトで説明されています。
これは恐らく「胞衣信仰」というものに繋がると思いますが、信州の恵那山が古くは「胞衣山」とも書かれ、天照大御神の胞衣が山頂に埋められたという故事があるように、生誕に対する畏敬を感じる遺構です。
ただ今では胞衣と言う風習は残っていません。条例で「胞衣」や「産汚物」として適切な処理を求められるからです。そうなると、後産を壺に入れて埋める事自体ができないのですから…。確かに衛生と言う概念の中では必要な処置なのでしょうが、何か残念な気がしていしまうのです。

【アクセス】
小田急線 千歳船橋駅:徒歩5分
小田急線 経堂駅:徒歩10分
どちらの駅もぶらつくのが楽しい商店街あり!です。

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