素戔嗚尊の氷川神社


【総本社】大宮氷川神社
【御祭神】素戔嗚尊、櫛名田姫尊、大己貴命
【神使】キジ(?)
【御利益】武運長久、勝運、厄除け、恋愛、縁結び、子孫繁栄

氷川神社で御祭神としている素戔嗚尊。他に須佐神社なども知られていますが、これらの総本社は出雲地方からの勧進が多いようです。また八坂神社のように神仏習合として素戔嗚尊と牛頭大王を御祭神とする神社もあります。が、関東・埼玉大宮を総本社とする氷川神社とは別系統とする見方があります。

まず、氷川神社の多くは荒川を中心に拡がっています。ですが、御祭神の三神ともに出雲地方とのご縁が強い神様ですよね。また、総本社の大宮氷川神社の御由緒では、こんな記述があります。

第十二代景行天皇の御代、日本武尊は当神社に御参拝し東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっております。第十三代成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって氷川神社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わります。

創建は日本武尊、そして兄多毛比命と言う名が書かれています。兄多毛比命は「えたもひ」と読むようですが、ソースになるのは「国造本紀」のようですが、この文書は文久元年(1861年)の成立で、真偽のほどについては確定していないと思われます。その一方で別名「六所神社」武蔵国の総社である大國魂神社の摂社に「坪宮」があります。この坪宮は更に別名を「国造神社」と言い、御祭神は兄多毛比命としているのです。つまりあながち、この兄多毛比命を架空の人物では片付けづらい状況は存在しています。

そして兄多毛比命は、出雲族とされている事を考えると出雲系の御祭神が祀られている事に辻褄が合うのでは無いでしょうか?
また、氷川神社の母体として、その付近にあった見沼の龍神を祀っていたとも言われています。これが出雲の神様と習合した結果が現在の氷川信仰になっているとも言われています。そして、総本社の大宮氷川神社の御祭神を素戔嗚尊、更に一宮としての氷川女體神社、更に所沢の中山神社は一直線上に配置されています。その直線で考えると夏至に氷川神社に太陽が沈み、冬至には氷川女体神社から昇る稲作との強い関連性が見えてきます。また、素戔嗚尊と八岐の大蛇を考えた時、時に恵みの象徴である「水」が水害に変化して龍神の荒魂へと变化した時、それを治めるのが素盞嗚尊の役割が見えてくる気がするのです。


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