熊野三山を勧進「熊野神社」


【総本社】熊野本宮大社
【別名】熊野神社、熊野社、十二所神社など
【御祭神】熊野三山(家都御子神、熊野速玉大神、熊野夫須美大神)
【御利益】商売繁盛、厄払、家内安全、交通安全、病気平癒、除災招福

熊野神社から、熊野三山や熊野古道がピン!と来る方、多いのでしょうか…と言う私、実は余りピンとは来ていませんでした。
で、その熊野神社ですが、全国で3078社あるいは2442社あると言われています。八幡さまには及ばないものの、全国区の広がりを見せた神社軍団なのです。
その主たる理由は「熊野詣」です。菅原道真と親交のあった宇多法皇が最初となり、法皇上皇の熊野御幸が始まります。白河上皇は9度、鳥羽上皇21度、後白河上皇34度、後鳥羽上皇の28度と、物凄い勢いがあったのです。そして平安中期から鎌倉時代にかけて僧侶や比丘尼、そして次第に民衆にも広まった挙句「蟻の熊野詣」と言われるまでに流行したのです。その流行の中で、たびに行けない人々や、信仰の証として各地に熊野神社が勧進、建立されていきます。この時代、神仏の区別が殆どなかったことが伺える情景です。

熊野神社では、神使にサッカー日本代表のエンブレムでもお馴染みの三本足をもつ八咫烏を描かれています。八咫烏は神武天皇が大和 橿原に向かう際の道案内として描かれますが、元々は熊野大社の御祭神である素戔嗚尊の神使とされていました。
でも、「八咫」とは何でしょう?「咫(あた)」は長さを表す単位でwikipediaでは
手を開いたときの中指の先から親指の先までの長さ
としています。概ね18cmとされるようですから144cmとなります。本州にいる代表的なハシブト・ハシボソガラスで若干大柄なのはハシブトガラスですが、それでも全長56cm、翼開長100cmと八咫烏よりに比べれば、相当に小さいのですね。また、神代には
八咫の鏡
もあります。これ実は

〔「やあた」の転。「咫あた」は長さの単位〕 大きいこと。長いこと。 「中枝には-の鏡を懸け/日本書紀 神代上訓」

コトバンクより)
つまり、巨大ガラスと言うのが本旨だと思われます。また、各種の文献を見ると「三本足としての記述は無い」というのが通説ですが、熊野大社では

八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味です。八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。 この三本の足はそれぞれ天・地・人をあらわす、といわれています。

と3本の足を説明しています。神武天皇を目的地に導き、また太陽の化身である巨大なカラス…有史以前から大自然を信仰の対象としたと言われる熊野の歴史にジャストマッチの神使と思います。

熊野三山の創建は
熊野速玉大社:伝景行天皇58年(128年)
熊野那智大社:伝仁徳天皇5年(317年)
熊野大社:伝崇神天皇65年(615年)
の順となります。
那智大社は「熊野夫須美大神」のみが御祭神となり、速玉大社ではこれに「熊野速玉大神」が加わります。そして、熊野大社では家都美御子大神、熊野坐大神、熊野加武呂乃命とされ、家都美御子大神は素戔嗚尊と同じとされています。

普通、こう書いていくと「熊野って、3つの別々のお宮があるんだね。ライバル?」みたいな感じになりますが、

違います!
と言うのも、現在では…というより12世紀末までには互いの祭神が勧進しあわされていて信仰対象として一体化がなされています。つまりこれが「熊野信仰」の一種具現化と言っていいでしょう。
そして、速玉大社ができてから既に1900年近くが経っていますが、この大社が作られた当初、既に「新宮」と呼ばれていたのです…。この時間を各地の熊野神社で感じられる事自体が熊野信仰なんでしょうね。


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