世田谷、三宿から程近い下馬にある「駒繋神社」。よく「駒留八幡神社」と勘違いされてしまいそうな…と言うか近隣には「駒留中学校」なんてのがあったりする、ちょっと悩みそうな神社です。
【鎮座地】東京都世田谷区下馬4-27-26
【ご祭神】大国主命
【創建】天喜4年(1056年)
【例祭】9月第3日曜日
【御朱印】あり
【公式サイト】あり
ご祭神が大国主命ですから、縁結びや家内安全、商売繁盛などにご利益がある神社です。神社の周囲を歩いてみると、蛇崩川越しの小高い丘の上の神社がまるで森のように見える木立に覆われている状態です。
神社の由緒からも
更に、文化十二年(1815年)に記された世田谷紀行の中には「こは、下馬牽澤村に有りて いと古き世の奥つ城(神霊の鎮まるところ)と見ゆ。堀をめぐらしし中に、丘を高うつきなしたるは、奈良の朝よりあなたのつくりざまになんありける。」
とあります。なので「もしかしたら古墳の跡かもねぇ」とか妄想が広がる地形です。
さて、蛇崩川の向こうの神社に参りましょう。川には昔風に朱塗りに擬宝珠の神橋がかかっていて、その向こうに一の鳥居があります。なんとなく「聖域」が川の向こうにあると思わせる構造です。
鳥居の向こうには2つの選択肢!と言わんばかりに階段と湾曲したスロープとが現れます。いわゆる男坂と女坂という感じでしょうか?せっかくですから、男坂から登ってみます。
と、その前にご神木?を載せておきます…
御社殿は小ぶりながら、立派な作りです。ここでも二礼二拍手一礼。きっちりとお参りします。
この神社の御由緒ですが、
今から約950年程昔、平安時代後期、御冷泉天皇の天喜四年四月(西暦1056年)源義家公が父頼義公と共に朝廷の命をうけ奥州の安倍氏征伐(前九年の役)に向う途中、この地を通過する際に子の神(当社)に武運を祈ったと伝えられており、少なくともこれより以前に出雲大社の御分霊を勧請し守護神としてお祀りされたと考えられます。(公式サイトより)
後三年の役の復路で世田谷八幡宮が、そして前九年の役の往路では駒繋神社が作られたと言うのは単に時代の問題なのでしょうか?
境内社には、招魂社の他、御嶽(大口真神)・榛名(火産霊神、埴山昆売神)・三峯(伊弉諾尊、伊弉冉尊)の三社、そして稲荷社が二社あります。
また、神道と言えばお米ですが、今のように灌漑技術が整っていなかった頃には「陸稲」が一般的でした。ただ陸稲では粘りが足りず、例えばもち米は無理だった(と教わった記憶が…)。なのですが、この内容を見ると世田谷の農業って進んでたんですね!と思わざるを得ません!
境内には歌碑があるのですが…すみません不勉強でm(_ _)m
恐らく昔の扁額でしょう。なんとなく置かれている印象ですが…結構凄そうです。
【アクセス】
東急東横線 祐天寺駅:徒歩14分
東急田園都市線 三軒茶屋駅:徒歩15分
電車+徒歩の場合、中々の距離を歩くことになります。が、渋谷駅からバスが走っていますので、そちらのほうが便利だと思います!
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